昭和46年04月05日 夜の御理解
先日新聞をみせて頂いとりましたら、基山の中山不動、そこの会堂が出来たと云うので、新聞に出ておりましたから、一遍家も会堂のまぁ出来て参りましたから、ほんと私ところの紋とそこの御紋は同じ紋です。とりようによっては、これはもう何時か勿論あちらの副館長と云う人が見えて、税金関係の事で、佐賀県でも分からない、福岡県の県庁にも行かれて、ところが、そういう事が分かっているのは合楽の教会より外にないと云うて、特に上手に云われましてね、それで、ここに見えた。
その時ちょうど、高橋さんと久保山進さんが、ここに居られましたから、もう半日以上掛かって、色々ここの土地のことを、やはり親切に教えておったとこなのです。大変喜んで、あちらから、こちらの土地の名物ですと云うてから、菓子を沢山送って頂いた事があるんです、一二年前に。あああすこたい、そんなら、なお都合がよかけん行こうかと云うてから、言うておりましたら、丁度古谷さんが加わられました。車二台に分乗して、基山の方へ参りました。
丁度三日間の法要が続いて、またあちらが出来ましてね、とにかく宗祖と云う方が、中山不動と云うのを始められて、まあ百年になるですね。生誕生まれられて百年になる。ですから云うなら、この頃まではおられた訳ですね。もう何代の方が居られた、ここに見えたのは、三代目の方が見えておられる。そらやっぱり前段を何と云うですかね、まあ沢山お寺さんがありましてから、まあいわゆるその、滝に掛かって拝んだり、ここ辺の云うならば、お不動様とか、何かお伺い所のあるようなつの大きなつですね。
だから平塚のお祭りが終わると、今出社があって、ここにさるきよりましたが、なるほどあるだろうと思います。ちょっとこう霊能が当たるち言うかね、だからあちらに行くともうすぐその、お滝打ちしよったりなんかするとこう、霊能者風に言いよる訳です。そんなツしたらかつがつそのまぁその末社と言うかね、そこの別れになって行く訳ですから、まぁ見えておられるその坊さんというか、渡りと言う方達もまぁそこのお婆しゃまか、おっちゃんち言うごたるふうな感じの婆さんばかりのねでしたが。
まあそれでも矢張り大した事ですよね。まあ会堂が二億円から掛ったと言う様な大きな会堂が建っております。まあほんとに色々と見せて頂きましたが、大変勉強にもなりました。一番その有難い今日の収穫だったと思った事はね。教祖の御教えの中に桜の花の信心より梅の花の信心が有難しと。桜の花の信心と言うはどういう信心かと云う程に、ここで説いて参りましたが、ああいう信心を桜の信心だと神様は言ってらっしゃった。
と言う事だけで只教義も何にもない、只辛抱しろと云うて自分が身をもっておかげを頂いて、それを現わして行く、それを伝えて行くと云う事だけなんです。だからもう一生懸命神様と一緒に、まあ大きな会堂で拝むと云うだけの、云うなら宗教なんですね。ですから霊能者が亡くなると、後は所謂桜の花が咲いた様に立派な会堂が出来ても、後はそれこそ、桜の花が散るようにまあ寂しいことに私はその事を頂いてからですね。
成程金光様の信心の、まぁあちらの先生は徳者だと云われて、大変霊能者的な先生の所では、必ず二代三代になて行くにしたがって、火が消えた様になって行くですね。ですからどうしても、この合楽の場合でも、ここに分からせて頂かなきゃならんことは、合楽の場合の有難いことは、これ程いわば教義を、微に入り細にわたって説いておりますから、それもそれが残っていって居りますから。
またそれをまたお参りさして頂く者が身に付けてさえ行く限り、信心は揺るがないものだとこう思うですね。教義を持つ宗教は強いと云われるのは、そういう事。しかもその教義が、生き生きと現わされて行くと神様はね。今日はそんなことで参りましたが、まああちらは館長様直々にその所謂副館長、奥様達全部が出てから大サービス是に務められた。こちらが大変お世話を、やっぱ何千万という税金が違ってきた訳なんです。
こちらが良く教えて上げたので。あの時には私が、そげん、ちょいと食べに来とるとに、そげんあんた、ご飯まで出すこといろかいと、私が云いよったぐらいでしたけど、どやっぱお昼になったら御飯どん出して帰しておりました。だからあの時大変お世話になったと言うてから、今日こう言う風に、てんやわんやしておられる時でもです、わざわざ、その別室に呼んで頂いてお茶でも頂いて。
それからお土産まで一提げことづけられました訳でございましたがね。有難いところに参ったと言うのじゃないけれども、何かそういうそこに参らなければ分からない。桜の花の信心とは、成程それが成程桜の花の信心だろうと思わせて頂くんですよね。〇〇教会はぁもうとにかく御本部参拝でも沢山あった、お参りも沢山あったと云う教会が、教会に依っては亡くなられた途端に。
例えば信者が減ってしまうといった様なのは、確かに桜の花の様なおかげを先代が受けられたけれども、二代の時には落としてしまわれたのですからね。如何に助かっている事だけではなしに、いわゆる心からの助かりですね、いわゆる教義なら教義を分からせて頂いての助かりと云うことになって行かなきゃならん。と言う様な事をね、今日は分からせて頂きましたね。
どうぞ。